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オムニバス 第8話

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「純銀名刺の使い途」

かの六本木グルメ大王は、胸ポケットに銀の名刺を忍ばせる。金ではなくで銀の理由を、彼はこう述べている。

「金持ちを自慢したいのならいざ知らず、飯代を払うためだけなら銀の板一枚で事足りるはずだ。だいたい酔っぱらいが金目の物を持ち歩くのは、良からぬ輩に強盗の名目を与えるようなもの。それに遭遇して怪我をさせられるのもお断り。宝石が似合うとも思えないし、指輪も女だけがすべきと考えているから、好きになれない。金銀・宝石やブレスレットをジャラジャラ身につけ、高そうな時計をこれ見よがしにはめるのは、田舎の成金で十分さ。いぶし銀の板ならそう高そうには見えないし、オシャレではあっても、盗難に遭うことも少ないだろうからね」

この食いしんぼには大きな欠点があって、六本木に限るが、どこへ行くのにもサンダルで出かけるのである。フランス料理屋でも割烹でも、普段着にサンダルというスタイルを崩さない。居酒屋やスナックならともかく、高級料亭にもサンダルで出かける理由を、彼は解説してくれた。

「食いしんぼうにとって、割烹だろうがフランス料理屋だろうが、日常の食事に他ならないんだ。その日々の食事をしに自宅近くのめし屋に行くのに、スーツを着こなし宝飾品を身にまとう理由がどこにあるんだい?たまの美味しい食事を楽しみに来る客を満足させるために店はインテリアに凝るのだろうが、毎日食べに来る客にとっては高い費用をかけて花を飾られるより、より美味しい食材を廉価で提供してほしいのさ。サンダル履きや普段着が具合悪ければ、常連なのだからコンパートメント(個室)でも物置にでもほおり込めばいい、というだけのことさ」

この男の考えは徹底していて、愚かな見栄というものを完全にほうむる。お中元やお歳暮などは大嫌い、虚礼などに忌避感すら持っていると同時に、肩書きで人を判断することはない。だから下働きの店員や若者とも仲良くなれるし、権力を盾に威張る人間は無視するか、論理でやりこめることもある。味を楽しむ時、酒を飲む時にはそれに専念するのが彼流なのだ。

だから食べている時、飲んでいる時には知人に会っても名のらず、名刺も渡さない。仕事の話しをすることはないし、そういう野暮を嫌ってもいる。頭は切れるし話題は豊富、情報に事欠かないことから、バーでは周囲の酔客を楽しませてくれる。酒場の酔客と楽しい会話を交わし、そこを宴席にしてしまい、友人となってその輪を広げてしまう楽しい酒だ。だが、初めて出会って彼を気に入ったとしても名前すら教えてもらえないのだ。彼の知人や店の人間から名前を聞き出しても、酒の飲み方やグルメ度を彼に気に入られなければ相手にしてもらえない。フランチャイズチェーンの居酒屋へ行き、社員食堂のA定食や500円かそこらのB級グルメであるラーメンの味を好み、自慢するような人は彼の友人となることができず、酒に飲まれるような人はバーでの楽しいパーティも傍観者にしかなりえない。その人の酒肴のセンスというか遊びの蓄積にない人は、彼との深いつきあいを持てないのだ。

彼の輪の中には芸能人も数多くいる。芸能人やタレントというだけで他の繁華街では羽振りを効かせられるが、六本木ではそれも効かない。芸能人の友人が一般人には魅力と映るらしい、芸能人の他にも社会的に地位のある友人を紹介しろという人は多い。そこを見込んで仕事を頼んでくる人も少なからずいる。商品の社会的な評判を調べてほしいとか企業の宣伝をしてほしい、会社のパンフレットやカタログを作ってほしい、という依頼が編集者の彼に来るわけだ。

という経緯もあって、彼の銀の名刺を欲しがっている人間は多い。彼が財布を持ち歩かないクセを知って、飲み代や食事代を奢る代わりに銀の名刺をよこせ、仕事を手伝え、という人もいる。彼の友人の輪に入れたことを自慢気に家族に話す人もいた。

六本木の街で、銀の名刺は彼の代名詞でもある。もっとも彼が現金と共に回収して回るから、実際に持っているという人は少ない。とはいえ、食べることや飲むことに勢力をつぎ込み、そういう生き方を満喫していて、生涯を独身で暮らすことを決めている彼は、ある意味で人生の達人なのかも知れない。



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